今昔木津川物語(026)

西成—大正歴史のかけ橋シリ—ズ(四)

渡船とせんと私

 大正区での渡船の歴史は江戸時代までさかのぼる。西成郡史によれば明治時代のはじめには、木津川筋には三軒家村の西側町渡、三軒家かみノ渡、三軒家渡、材木置場おきば町の筋違渡、中口新田の中口渡、炭屋新田の落合おちあいしもノ渡、宮の前渡。尻無川筋には甚兵衛じんべえ渡。昭和七年の渡船場見取図みとりずによれば木津川筋に千本松渡と五番渡が、尻無川筋に中ノ渡と福崎渡が加わっている。

昔は民営みんえい世襲せしゅう・有料

 もともと渡船は、民営、有料で世襲の家業かぎょうとされていた。
 大阪府は明治二十四年、渡船業営業規則を定め、営業時間や料金の統一とういつをはかった。同四十年に安治あじ川・木津川・尻無川及びよど川筋の市内二十八渡船は危険防止きけんぼうしのため大阪市営しえいとなった。
 大正九年きゅう道路法の施行しこうにより渡が道路の付属物ふぞくぶつとして、有料を廃止はいしして無料とした。
 さらに昭和七年請負制うけおいせいから直営方式ちょくえいほうしきえられたが、その当時市内の渡船三十二カ所、一日の利用者四万人、牛馬ぎゅば百七十とう、自転車ー万七千台、乳母車うばぐるま百二十台、人力車じんりきしゃ十九台、 荷車にぐるま八百台との記録きろくが残っている。この頃、船頭せんどう組合くみあい結成けっせいし、待遇改善たいぐうかいぜんを市に要求している。
 その後戦時下せんじかでの利用状況の激変げきへんや道路・橋梁きょうりょうの整備により減少げんしょうし、現在では市建設きょく管理七ヵ所、市港湾こうわん局管理一ヵ所の合計八渡船になっている。大正区にはその内七カ所あり、あとの一ヵ所は港区の天保山てんぽうさん渡である。

木津川と三軒屋川の落合

 落合上ノ渡と下ノ渡は共にながい歴史をもっているが、私は乗船じょうせんするたびになぜか、与謝蕪村よさのぶそんの「やぶ入りや浪花なにわを出て長柄ながら川」「春風やつつみなごうていえとおし」のがうかんでくるのである。高校を卒業してすぐに、店員見習いのような仕事で、毎日重い自転車を走らせていた体験からかもしれない。
 今はその道も大変な「ダンプ銀座ぎんざ」に変わり、平日は危なくて歩けない状態じょうたいである。

名勝めいしょう千本松せんぼんまつの名を残す

 千本松渡船に乗れば、何か小林多喜二たきじの小説「工場こうじょう細胞さいぼう」や「オルグ」の主人公になったような気になって、身構みがまえてしまうから不思議ふしぎである。私自身じしんが三十才代は、日本共産党の専従せんじゅう活動家となり当時西成区南津守にあった木津川地区委員会の事務所から、大正区の工場にオル
グに出かけるのに、よくこの渡船を利用したからであろう。

かってはカ—フェリ—が

 木津川渡船にはめったに行ったことがない。地下鉄北加賀屋かがや駅から西へ二十分ほど歩いたところにあるが、注意が必要なのは、休日には一時間に一回位しか運行うんこうしないことである。他の渡船は平日・休日を問わず十五分毎に動くのに、そのつもりでいれば予定がずれてしまう。しかしそれだけに生活のにおいは薄うすく、時間つぶしにぼんやりと、はば広い木津川の河口かこうと海の入り交じるようすをながめていると、いそのかおりもただよってくる。対岸たいがんの工場ぐんや倉庫の列も静まりかえっている。小野十三郎とさぶろうの詩に、ここ柴谷しばたに町をよんだのがいくつかあった。私が小野十三郎の「詩の教室」に通っていたのは二十才はたち前後のこと。詩人というのをはじめてみてあこがれたものだった。
 木津川渡が現在、唯一ゆいいつの市港湾局管理の渡船だが、かってはカーフェリーが就航しゅうこうにあたり、乗客と共にトラツクや乗用車も乗せていたという。

スリルとサスペンス

千歳ちとせ渡がある尻無川の河口と大正内港ないこうのぶつかるところは、ほとんど大阪港である。そこを約四百メートルにわたり小さな渡船が横断おうだんするのだから、風の強い日などは相当そうとうにスリルがある。大阪平野へいやをとりまく山々もはるかに見えるし、大きな貨物船かもつせんが目の前を通り過ぎると、その後をカモメの群が追っていく。
頭上ずじょうはるかに、高速道路の工事中の橋ケタが顔をのぞかせている。
 南港側には、いま大阪市がかかえこんでいる巨大な赤字ビルが、突っ立っている。その横に港区の大観覧車かんらんしゃがカラフルな姿すがたを見せているが、何か蜃気楼しんきろうのようにもうつる。
 子供の帽子ぼうしが風で吹きばされて、それからなにか大事件が起こりそうな雰囲気ふんいきがする、不思議な空間くうかん
 森村誠一せいいちの「せいかんざい癒着ゆちゃく」の小説の舞台ぶたいになりそうな渡船。などと勝手に空想くうそうしていると船は早くも鶴町側に着いた。
 歩いて約五時問、自転車で約三時間の「渡船と私の一人旅」、あなたもやってみませんか。