照る日曇る日(003)


 今年は戦後八十年、もちろん、戦時の体験はなく亡祖父母や父母から当時のことを聞いたくらいだ。しかし、「あんなことはなかった」と虚言し、戦争責任・犯罪を免罪する言論が目立つような昨今、以前に書いた、ある軍人の話を再構成することにした。

 その名は、木村久夫、戦没学徒の手記を集めた「きけわだつみのこえ」という文集の掉尾に、白眉の遺書がある。実は私が卒業した豊中高校(当時は豊中中学)の先輩であり、一時は第四高等学校(現在は金沢大学教養学部)を志望したとあるから、実現していたら重ねての先輩でもある。

 京大経済学部に入学した氏は、学業半ばにして出征、インド洋に浮かぶカーニコバル島に配属され、通訳業務にあたったが、終戦直前に起こった上官による住民虐殺の罪をかぶる形で連座し、連合国側により絞首刑に処せられた。その獄中で哲学書の余白に書かれたのが遺書である。

 「日本の軍人は…私達の予測していた通り矢張り、国を亡ぼした奴であり、凡ての虚飾を取り去れば私欲の他に何物でもなかった。…大東亜戦以前の陸軍々人の態度を見ても容易に想像される所であった。…彼等の常々の広告にも不拘(かかわらず)、彼等は最も賎しい世俗の権化となっていたのである。それが終戦後明瞭に現れて来た。…」

 後に発見された文には、さらに鋭い軍部批判がある。

 「軍人が常々大言壮語して止まなかった忠義、犠牲的精神、其の他の美学麗句も、身に装う着物以外の何者でもなく、終戦に依り着物を取り除かれた彼等の肌は実に耐え得ないものであった。此の軍人を代表するものとして東條前首相がある。更に彼の終戦において自殺(未遂)は何たる事か。無責任なる事甚だしい。之が日本軍人の凡てであるのだ。」

 彼の示した学問の力を支えにした歴史に対する深い洞察が、私たちに託した財産だと思えてならない。

 写真は、高知高校時代の木村久夫氏と、遺書が書かれた哲学書。

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