照る日曇る日(002)


 私は、京都の下町で生まれ育った。そのうち、「生誕の地」の碑が建つかもしれない。更迭された大臣の放言をまねて、「コメは一度も買うたことないわ。売るほどあるさかい!」と、小さいながら米屋を営んでいた祖父の声が聞こえてくる気もする(笑)。
 1才過ぎたころ、突然ひきつけて、今でいう熱性けいれんだろう、生まれた長屋の路地の入り口にあった、眼科の医院に母が担ぎ込んだ。さぞ、その医者は、面食らったことだろう。少し離れた所には、評判の高かった小児科医、松田道雄先生がおられた。医師としての仕事のかたわら、育児書も執筆、岩波新書の「私は二歳」は、代表作の一つで、それを1962年に映画化したのが、市川崑監督。山本富士子、船越英二など当時のそうそうたる俳優陣が出演している。
 「高度成長時代」にさしかかり、団地の造成の一方で嫁姑がやむなく同居という時代背景。映画は、あくまで子どもの眼で、子育ての現実を描いている。子どもから見ると、この世間が、幾多の理不尽なことがまかり通っているのか?その批評はなかなか手厳しい。
 医療生協の各エリアで、映画鑑賞を企画するような班会があれば、当方、ブルーレイでの手持ちがあるので、ご連絡いただければ幸いである。
 浦辺粂子演ずる祖母が亡くなり、子どもがじっと見つめるお月さんに、その顔が浮かび上がるシーンがことに印象的。この祖母役を観ていると、母親に内緒で、漫画を買ってくれた「ばあちゃん」や、高校野球で平安高校が負けると機嫌が悪くなる「じいちゃん」が思い浮かぶ。二人はよくケンカしたが、それでも正月など大勢が集まると、笑顔を見せてくれたことを今でも思い出す。画像は金魚すくいに夢中な二歳児。ちなみに私はどんくさくて、いつもすぐポイを破るので、店のおっちゃんが同情して金魚を一匹くれたものだ。