がもう健の〉次郎と友子の「びっくり史跡巡り」日記 第59回

◎天龍寺ー嵐山を借景にした壮大な庭」

 足利尊氏が後醍醐天皇の菩提をとむらうために、自ら土石を運んで五年がかりで建てた寺として知られ、夢窓国師を開山としている臨済宗天龍寺派の総本山。
 境内では唯一当時のままの姿を残す池泉回遊式の曹源地庭園は、臨済宗の禅僧であり、作庭に秀でた夢窓疎石が手掛けた壮大な庭園。
 その伽藍をつくるために、夢窓は幕府に中国(元や明)との通商貿易を開くよう進言しその貿易船は遣明船として活躍した。
 「暦応元年(ー二三八)征夷大将軍に任じられた尊氏が政敵である後醍醐天皇のために築き上げたのだね」と次郎。
 「ところが、京都国立博物館所蔵の足利尊氏像は、鎧を着て馬にまたがっているのに、兜はかぶっていない。髪型は〝ざんばら髪〟その人相は口をへの字に曲げ、ひげをたくわえ見るからに〝悪玉〟だ。しかも、抜いた刀を肩にかつぎ、背負った六本の矢のうち一本は折れているなど、いかにも落ち武者のいで立ち。じつはこの肖像、従来は唯一の足利尊氏像と考えられてきたが、近年は別の人物ではないかと言われだしている」
 「尊氏をいったん朝敵と決めつければ、永久に極悪人扱いして何とも思わない、日本の歴史学とはいったい何なのか」と次郎。
 「本当にそっちの方が恐ろしい」と友子。

大阪きづがわ医療福祉生協機関誌「みらい」 2021年6月号収録

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