がもう健の〉次郎と友子の「びっくり史跡巡り」日記 新刊本 十九


◎ 十九、「聖護院」山伏姿で托鉢は冬の京の風物詩

 京都市左京区、岡崎公園から西へ約十分行くと聖護院がある。本山修験宗の総本山で本尊は不動明王、円珍の法脈につながり十一世紀に増誉が開いた白川房に始まるという。
 増誉は寛治四年(一〇九〇年)、白河上皇の熊野御幸の先達をつとめ、熊野三山検校職を賜り、修験道を統括した。三世覚忠のときに聖護院と号した、と由来にある。
 次郎が最初に紹介する。
 「毎年一月に信者達が修験道の山伏姿で法螺貝を吹き鳴らして托鉢・祈祷する寒中修業は、冬の京都の風物詩としてテレビでも報道されているよ」
 友子が質問する。
「聖護院の受付けで『近畿三十六不動尊霊場』の一覧表をもらったのだけど、『お不動さん』と親しまれているのに、恐ろしい形相で表現される不動明王はどう理解すればいいの?」
 次郎が答える。
 「明王が憤怒の形相をしているのは二つの理由がある。一つは衆生のうち、仏の教えに耳を傾けようとしない、頑迷な連中を導くためだ。二つ目は仏の世界を脅かす悪や煩悩に対抗するためだ。多くの衆生を救いたい慈悲心と、仏法を守ろうとする固い決意が憤怒の形用としてあらわれているのだ、と云われている」
 友子がさらに質問する。
 「不動明王は宇宙の創造者である大日如来の変身とされているけど、釈迦の仏教ではそういつた『絶対神』を認めていないのではないの?」
 次郎が答える。
 「釈迦が亡くなって数百年がたっと、釈迦の教えとはかなり異なるかたちで『だれわれを助けてくれる不思議な力があり、それが多くの者を救い上げてくれる』という思想『大乗仏教』が生まれた。今の日本の仏教は全て大乗仏教だよ」
 友子が問いかける。
 「次郎ちやんはどう思うの?」
 次郎は少し考えて、こう答える。
 「僧侶になり苦行しなければ救われないという小乗仏教では社会が成り立たないよ。物事は発展変化していく、諸行無常は仏教の教えの根本だから、大乗仏教で何ら矛盾はないと思うよ」
 「最後にちよつとびっくり情報。京都みやげの焼菓子として有名な『聖護院八ツ橋』は筝曲をきわめた八橋検校を偲び琴のように反った短冊形の菓子を『八ツ橋』として、検校の墓がある黒谷に近いこの地で売ったことに始まるという」
 友子は「それは知らなかった」と驚く。
 次郎が続けて説明する。
 「この際、お寺の種類を分類すると、五つに分けられる。一つ目は、故人や先祖の法事や墓参りに関するお寺の『檀家寺』。二つ目は、現実の困難や災難がなくなることを祈願する『信者寺』。三つ目は、観音菩薩や不動明王など特定の仏を祀る大規模なお寺を『霊場寺』。四つ目は、建立が古く、歴史的に貴重な建物、仏像、仏画などが伝わって、その文化的な価値が人々の関心を集め、拝観料をもらって経営する『観光寺』。五つ目は、僧侶の修業だけでなく 一般の人々の短期修業(座禅や写経)を認める『修業寺』。どうぞ参考にして下さい」
 友子は「それは、それは参考になりました」と手を合わせてお辞儀をした。
 日が暮れた帰り道、友子が話題を変えて尋ねる。
 「お兄さんは元気?」
 次郎が広場で遊ぶ子供を見て、思い出したようにこう言った。
 「兄の施設に学童保育所から子供たちが遊びに来てくれて、入居者のみんなが喜んでいたそうな」
 友子が心を込めて「いいね」と相槌を打つ。
 次郎が感慨深く「じんとくるね」と言いながら、朗らかな表情を見せた。

“がもう健の〉次郎と友子の「びっくり史跡巡り」日記 新刊本 十九” への1件の返信

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です