◎千本通りの桜
千本通りには桜がよく似合う。
千本と桜と書けば「吉野の千本桜」を連想してしまうが、千本という地名の元となった木津川の堤に植っていた木は、桜でなく松であった。
千本通りの桜は、主に小学校と幼稚園とお寺である。
二十三才で党の常任となった当初は、「赤旗」新聞を自転車に積んで、主な党員宅へまとめて下ろし、そこから配達してもらっていた。部数が少なかったので、東京で印刷し旧国鉄で送られてくるのを、毎朝大阪駅まで取りに行っていた。
十三間堀川に沿ってあった植野ガラス店から、千本通りをアカシ薬局へ向かうのは、いつも昼前の時間になる。
桜の花びらが舞っている中を、歩いている母の姿を見たことがあった。母はそのころ、生命保険の外交員をしており、千本通り一円を担当していた。
三十年も前のことだが、当時千本通りは商店も多く、区内でも屈指の商店街であった。
今、戦後最大の不況といわれる中で、みんな必死に店を守って頑張っている。消費税の税率大幅アップなど、正に「殿ご乱心」である。細川首相は、肩寄せ合って春を待つ庶民の心など、しょせんわからない「天上の人」なのだろう。母は、この一月に鬼籍の人となった。小春日和のような日の昼前、見送ったのは千本通りのお寺であった。
(ー九九四・三)
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