南大阪歴史往来(009)

◎「初辰さん」

 住吉大社第一本宮の東側、高さ約二十㍍幹回り約八㍍樹齢約七百年、大阪市の指定保存樹にもなっている、楠の老大樹を背に鎮座するのが、楠珺理社である。祭神は宇迦御魂神(うがのみたま)日本名は倉稲魂尊といい、「稲荷大明神」という名で全国に祀られている。素佐之男尊と奇稲田姫の第六子である。

四十八回で「始終発達」とは

 住吉のこのお稲荷りさんは特に、商売繁盛の神「初辰さん」として親しまれ、毎月初辰の日には大いに賑わっている。樹に棲まうという巳さんの霊力を信仰し、四十八回の月参りに「始終発達」とかけて参詣する人が絶えない。社頭で羽織を着て片手で人を招く「招福猫」(まねき猫)を受けて帰ることができる。
 住吉大社の北方向、かって住吉神宮寺のあった広場、通称「桜畑」の一隅に種貸社がある。祭神は楠珺社と同じ宇迦御魂神である。この神は農耕の神であるが、子宝が授かるとして信仰されている。ここでは「種貸人形」がもらえる。
 住吉大社の南横にある浅沢神社の更に南側に、細井川をへだててこじんまりと祀られているのが大歳神社である。祭神は大歳神。もとはここから約五十㍍西にあったのを、明治二十二年当所に移した。
 大歳神が五穀豊饒・収穫の神であることから、商人の節季のときの集金に霊験あると信仰されている。
 当社には人形はないが「ス夕—」がある。というのは当社拝殿右横に小祠があり、石灯籠の柱の上に丸石が置かれてある。これを「お愛し星」とよび、この石を持ち上げてみて軽く感じると願いが叶うという。初め置かれていた石は隕石だといわれ「星」の扱いがなされていたとのことである。
 そしていつの頃からか「種貸社」で資本を授かり、「楠珺社」で商売繁盛を願い「大歳神社」で金の円滑を頼む、という順拝が盛んになってきた。

三祭神は出雲一族の超人物

 しかし、私が先ずここで注目したいのは、三神神社の祭神についてである。楠珺社と種貸社の祭神は共に宇逝御魂神で稲作の研究に力を入れ、農民から慕われたという。
 大歳神とは京都の八坂神社の記録によれば、父素佐之男母奇稲田姫の間に生まれた八人中の第五子で、後に初の大和の大王となった天照国照大神のことで、父と共に九州平定をやったので、九州地方に「大歳神社」が多い。
 そしてなによりも、大和と周辺にある大神(おおみわ)神社—三輪明神、石上(いそのかみ)神社、大和(おおや
まと)神社、熊野本宮大社、賀茂別雷(かもわけいかずち)神社、日吉(ひえ)神社などの有名神社の主祭神が大歳神即ち、天照大神の前の天照大神である天照国照大神だとということで,ある。
 日本書記や古事記で「大物主は大国主の別名である」と書かれているのはウソで、大神神社で大物主と大国主が並んで祀られている以上、これは別人である。

勝ち組日向一族歴史をつくる

 日向一族の天照大神を「皇祖」とするために、対抗する大先輩の出雲一族の神々を変名したり抹殺したりする、歴史の偽造を日本書紀や古事記でやってきたのに、今でも民衆に親しまれているのは、出雲一族のお稲荷さんや大歳さんであるというのは、歴史の皮肉として面白い。
 古事記のできたのは西暦七ニー年で、古代とはとうてい云えない時代で、各氏族各地の歴史書もあった。当時全国に祀られていた神社は約三千から五千位で、その内の出雲一族を祀っているのが約八割で日向一族は約二割位であったという。それぞれの由来もあったはずである。
 そこでこの割合を逆転させようとして、日本最初の天皇である天武や藤原鎌足の子の藤原不比等らが、永年かけて神社への攻撃・圧力、系図の没収・破棄を行い、ついには大々的な歴史の捏造として古事記・日本書紀を持ち出してきた。つじつまの合わない部分は全て「神話」にしてごまかすという、悪質なやりかたをとったため、日本の歴史はまともに教えることのできない代物になってしまったのである。

明治以後の戦争の歴史はダメ

 明治になり「王政復古」の時来たれりとばかり、今度は「天皇は現人神」という絶対主義的天皇制の圧政で、以後八十年間押し通してきたが、結果は二千数百万人の人命を奪って、無残な敗北を喫してしまう。その時点で日本が世界に行なった公約が「平和憲法の遵守」なのである。ところが最近、憲法を改悪し日本を再び戦争のする国に復活させようという策動が、活発にやられてきている。しかし、この道はいつか来た道。絶対に避けなければならない、破滅への道なのである。
 歴史的に見ても好戦勢力は少数である。そこで彼等は様々な策略を巡らす。これを見抜き、平和を願う多数派に呼び掛けることにより展望は必ず開けると思う。

事態は順拝だけでは打開不能

 私はここでもうひとつ問題にしたいのは、今の中小零細自営商工業者の暮しと営業の問題は、今までのような三社順拝ではすませないほど、事態は深刻だということだ。
 私の地元の西成区では店舗の半分が空きという商店街もあり、酒屋・米屋が廃業続出という昔では考えられなかったようなことが、起こっている。「かなわぬときの神頼み」ではだめだ。大企業は空前の大儲け、競争万能主義はついにスピード争いとなりJR 西日本は、大事故を起こしてしまった。
 今、人々のやらねばならないことは団結だ。徹底的に団結することだ。答えは必ずそこからでてくる。「はったつ」ではなく悪政に「はらたつ」こと、本当に怒りに立ち上がることだ。

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