今昔西成百景(014)

◎梅雨入り

 五月雨が降っている。梅雨の入りももうすぐである。この頃になると、かって南津守四丁目、今の商店街の南側にあった、ドブ川の上につくられた飲食街のことをふと思いだす。
 昭和三十年前後、私は十九オ、木津川筋の造船所で社外工として働いていた。そして、無権利な状態にあった社外工の労働組合をつくるために同志達と連絡をとり合っていた。まるで小林多喜二の「工場細胞」や、徳永直の「太陽のない街」の世界である。
 ホルモン屋の焼きめしは、肉のかわりにホルモンが入っていて、独特の味でおいしいかった。豚足を売る店が何軒かあったが、脂だらけの柔らかいのと、石けんのように固いのがあって塩を付けてたべた。雨がはげしくなると雨漏りがして、ドブロクのびんをぬらしていた。飲み屋の裏に卓球場があって、昼休みにやったこともある。

なぜか造船所での思い出は雨と夜勤

 当時名村造船所では、雨がはげしくなると、創業者の社長がステッキを持って現場を見廻りに出てきた。赤線を何本もいれた、大きなヘルメットをかぶっていた。職制が率先してとび出し、大きな八ンマーで鉄板をたたいたりした。しかし、船台のかげから出ようとしない労働者もいた。
 労組結成の早朝、下請け会社の社長の郷里から集団就職してきていた十数人の少年達が準備会からの脱会を申し入れてきた。「四国には仕事がなくて……。許して下さい」と小さな頭を下げた。
 私はビラの束をドブ川に沈めて、雨の中を自転車をとばして出勤した。事務所の名札はすでにはずされていた。
 今はドブ川飲食街も立ち退き跡地は道路となり、造船所も他県に移転してしまった。
 西成区には大きな下水処理場はあるのに、路地に入れば市の下水管が入っておらずに、集中的な大雨や梅雨にあふれたり、つまったりするところがけっこう多い。簡単な手続きで、市が無料で立派な下水施設をしてくれ、跡はきれいに舗装もしてくれる。私はいつもこのことを強調しているので、梅雨になればあちこちから相談が入る。そんな中にかっての社外エ仲間もいて、旧交をあたためあうこともある。
(ー九九四・五)

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