今昔木津川物語(010)

西成・住吉歴史の街道シリ—ズ(五)

住吉大社すみよしたいしゃ

 住吉大社は不思議ふしぎな神社である。「別格官幣かんぺい大社」という評価ひょうかをもらっておきながら、権威を押しつけるような雰囲気はあまり感じさせない。初詣はつもうでや夏祭りでの雑踏ざっとうが庶民的しょみんてきな「すみよっさん」のイメージを定着させたということもあるのか。

住吉津の地主神

 さて住吉大社の祭神さいしん底筒之男そこづつのお中筒之男なかづつのお表筒之男うわづつのおの三しん神功皇后じんぐうこうごうの四はしらであり、住吉大神おおかみというときは筒之男つつのお三柱の総称である。
 住吉三神はすべてに「筒男つつのお」がつくことから、住吉(港)の地主神とこぬしのかみを意味するものと解釈されている。古代こだいに住吉神社と称されるものは、摂津せっつ播磨はりま長門ながと筑前ちくぜん壱岐いき対馬つしま陸奥むつの七ヶ国にある。これは難波なにわから朝鮮半島ちょうせんはんとうへの海上の道に沿ったものであり、事実、遣唐使けんとうし派遣はけんされるときには、その船に、主神しゅしんとよばれる摂津の住吉神社の神職しんしょく乗船じょうせんするのがれいであり、津守氏つもりし任命にんめいされることになっていた。このようにみれば、住吉神社は海上交通を守る神とともに、古代国家の対外政策たいがいせいさくと密接に結びついた、軍神という側面も持っていたことになる。

津守氏つもりしからも歌人かじん輩出はいしゅつ

 「遣唐使が停止ていしされ、難波津なにわづの整備がすすみ、 住吉津が衰退すいたいし、平安京へいあんきょう遷都せんとが行われると、徐々に住吉大神に対する信仰しんこう変化へんかがみられ、九世紀中頃には朝廷ちょうていから祈雨きう止雨奉幣とめうほうへいの派遣が始まり、後には豊饒祈願ほうじょうきがんも併せ行われるようになった。また、王侯おうこう貴族きぞくが住吉大社参詣さんけいのとき、広々とした海浜かいひんの白砂青松はくしゃせいしょうたりにして感動かんどうし、その気持ちを歌にたくきそいあい、住吉大社に奉納ほうのうする習慣しゅうかんが生まれるなど和歌わかの神として崇敬すうけいされた。後には和歌だけではなく、社頭しゃとう和歌わか俳句はいくも行われ連歌では宗祇そうぎが津守氏の主催しゅさいで行った百韻ひゃくいんや、 貞亨じょうきょう元年がんねん(一六八四)井原西鶴いはらさいかくが社頭で行った一昼夜ぶっ続けで二万三千五百を詠んだ『大矢数俳諧』は有名である」(住吉区史)
 住吉神社神主かんぬし津守氏は住吉神社及び住吉地方に、歴代れきだいにわたって密接な関係を持ってきた。住吉のを守ることから津守という名になったわけだが、十六代目は神主として船に乗り帰国きこくできなかったとの記録きろくもある。三十九代国基くにもとは和歌の名人であり、当時の権力者たちと和歌の贈答ぞうとう懇意こんいとなり、息子達を次々と要職ようしょくにつけている。

南朝なんちょう行宮あんぐう徳川家康とうがわいえやすの本陣が

南北朝なんぼくちょうの対立では津守氏は南朝方に結びつき、村上天皇は住吉神社を行宮とし八年後に住吉行宮でぼつした。
戦国せんごく時代の争乱そうらんでは摂津せっつ守護職しゅごしょくであった細川ほそかわ氏の内紛ないふんから、住吉も戦地となり以後石山合戦の終結しゅうけつまでの約七十年間衰退荒廃すいたいこうはいするしかなかった。特に住吉は南の堺と北の天王寺の間に位置し、兵を移動する絶好ぜっこうの場所にあることから、いやおうなく被害ひがいを被ることになった。
 その後も、大坂おおさかふゆじんでは家康は住吉神社神主津守氏のやかたに入って本陣をいた。大坂城攻撃こうげき重要拠点じゅうようきょてんとみなされたのである。
 徳川時代は政治も関東かんとうに移り、住吉は農業のうぎょういとな寒村かんそんになってしまう。大坂からの住吉詣をする人で賑わうのみであった。明治政府は神官しんかん神職しんしょく世襲せしゅう廃止はいしし、神社の神主である津守国美も免職めんしょくされ、改めて少宮司しょうぐうじ任命にんめいされている。
 住吉大社の変遷へんせんをみてみれば、時々とくどき権力けんりょく意向いこうまわされながら、何なんとか企業努力きぎょうどりょくで生きびようとする、地場産業じばさんぎょうを守る中小企業のようで、そこにどことなく親しみを感じさせるものがあるのではないだろうか。
 私にとっては、戦時中せんじちゅうは第一本宮ほんぐうの前でラジオ体操たいそうを、戦後せんご太鼓橋たいこばしの下はプールがわり。青年運動では正月や祭りに露店ろてんを出して資金しきんかせぎ、平和運動をもりあげるための参道さんどうでの署名しょめいとカンパ。子供を、れての散歩さんぽ。そして今は郷土史きょうどしめぐり、と本当にお世話せわになっている。「すみよっさん」これからもたのんまっせ、と手を合わせる次第しだいである。

“今昔木津川物語(010)” への1件の返信

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です