◎幻の緑地公園ー五十年前にあった西成大公園建設の計画
「本市の緑地計画としては昭和二十二年一月十四日内閣の認可を受けた都市計画公園大小併せて百十二ケ所(八二一八平方粁)がある。その数・面積・配置・連絡・機能をひとまとめにして有機的組織として計画されている。本区内の都市計画公園の予定地としては、北加賀屋公園(桜井町・津守町)の三千七百二十坪・玉出公園(玉出新町通二丁目)の八百四十七坪・西成公園(梅通四・五丁目、梅南通四・五丁目、松通五・六丁目)のー万四千三百九十九坪・津守公園(津守町)の三千六百九十一坪がある」(西成区政誌)
西成にも大規模な公園が必要
西成区には、住吉公園や住之江公園のような大規模な公園が一つもない。スポ—ツするにも、花見に行くにも、地元を出なければならないということは、街づくりの点ではもちろん、区民の意識の面でも大きな問題だと思う。緑地や災害時の避難場所でも他区と差が生じている。
ちなみに、私が日頃から声を大にして訴えているところだが、大阪市内二十四行政区中公営のスポーツ施設がゼロというのは、西成区だけなのである。
それではなぜ、西成には大公園がないのか。先日、南海天下茶屋工場跡地の利用問題で市役所の担当課長と交渉したが、開口 一番彼が言ったことは、「そんな駅前の一等地に公園などは無理です」ということだった。
「集客都市」づくりで地元は無視
しかし、住吉公園も住之江公園も私鉄や地下鉄の駅前にあり、交通至便で利用者が多いのである。結局、担当課長の考え方は、現磯村市長の提唱する「集客都市づくり」に貢献するような施設なら良い、ということらしい。
地元にはたいして関係もないマンモス施設を、交通至便な「一等地」に持ち込んで、「西成区民にとっての街づくりの最後のチャンス」を奪ってしまう。そしてみずからは市長のごきげんをとり、出世コ—スに乗ろうとする。そんな役人根性が丸見えで、こっちの気分まで悪くな
ったものである。
現市政は最低の支持率
昨年秋の大阪市長選挙では、自社公民才—ル与党にかつがれた現市長が当選したとはいえ、わずか有権者比一七・六四%しか得られなかった。もちろん史上最低である。
忘れもしないことは、投票日の前日の早朝、土曜日で区役所は休みなのに、区長以下の管理職が一丸となって区役所横の地下鉄の駅前に立ち、棄権防止運動をしていた姿である。投票率を相当上げなければ、オ—ル与党候補といえども楽観は許されないとの、新聞報道があったあとのことである。
区民を踏み台にすることは許せない
歴代区長が最重要課題としてきた、南海天下茶屋工場跡地利用問題、いよいよ具体化の段階にきているのに、だんまりをきめ、一切情報を公開しない。若手のエリ—卜といわれる現区長に、市役所の担当課長らと共通する住民無視の姿勢が感じられて、怒りがわいてくる。区民を踏み台にしての保身は断じて許せない。
区政史の謎
西成区においても、区の中央部に大規模な緑地公園が必要なことは、五十年も以前から行政も認めてきたことなのである。都市計画公園として、梅南から松にかけて、一辺二百数十米の正方形の大緑地公園が西成公園として建設が計画されていたことからみても、明らかだ。
せっかくの街づくりの機会を逃してきた、その原因は一体なになのか。西成区政史にも不可解なことが多い。「幻の緑地計画」を何としても、南海天下茶屋エ場跡地で実現しなければと、改めて決意をする。
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