がもう健の〉次郎と友子の「びっくり史跡巡り」日記 第2回、第3回

◎鈴虫の寺は下町ロケット

 西芳寺(苔寺)の百メートルほど北、延郎寺山の中腹にある華厳寺(鈴虫の寺)は、正徳五年(一七ー五)に創建された華厳宗の寺だが、明治元年(一八六八)に臨済宗永源寺派に改めた。本堂に本尊の大日如来座像があり、堂前の「華厳寺」の額は陰元禅師の筆である。
 当寺を「鈴虫の寺」とよぶのは、本堂の四つの箱で、約八千匹の鈴虫が一年中鳴いていることから。当時の住職が二十三年かけて鈴虫の習性をかえ、一年中、しかも昼間に鳴くようにしたもの。さわやかな鈴虫の音とともに、住職の「鈴虫説法」も聞ける。
 秋晴れのもと、今日も次郎と友子は手をとりあって、ゆるやかな坂道を登りながら、例によっておしゃべりを始めた。
 「私は以前にひとりで来たことがあるけど、先に苔寺に回り庭園をうづめつくした苔の美しさに圧倒されてきた後だったから、鈴虫の音もテ—プぐらいにしか思わず、住職の説法も若い人達でいっぱいだったので、最後まで聞いていなかった。中年のお坊さんが熱弁をふるい、聴衆からも質問があったりしていい雰囲気だなあと、好感を持った記憶がある」
 「鈴虫の飼育の改良に社運ならぬ寺運をかけてとりくんだのね」と友子。
 「苔寺と松尾大社に囲まれ何かしなければ素通りされかねないと、お寺のこれこそまさに、『下町口ケツト』だ」と次郎は人気の髙い、奮闘している中小企業をモデルにしたドラマから例を持ってきた。
 「それに『鈴虫説法』も加えて」と、あいづちを打つ友子。
 「友ちゃんどう思う。せっかくお寺に来ているのだから、お坊さんから説法のひとつも聞かせてほしい、とは…」
「楽しくて元気の出る話なら半時間位でも聞きたいわ」
 「ところが、私も京都と奈良のお寺だけでもここ数年間で数百カ所はお参りしている。しかし実際に私達に説法してくれたのは奈良の薬師寺とここだけ。後は単なる観光客扱い」
 「外国のお客さんも爆買いだけでなく、寺社巡りもせっせとやってくれている。日本の文化にも関心があると思う」
 「友ちゃんそこなんや。世界三大宗教であるキリスト教とイスラム教は、うちこそ本家と争っている。しかし仏教は、人間に命令する神の観点はない。あくまで視点は自分の内部にある悟りへの道なんだ。ひとりひとりの人間の努力でこそ世界平和が実現できるという、唯一合理的な道を寛容の心できりひらこうというのだ」
 「次郎ちゃん今日は格調高いね」
 「私の兄は敗戦のとき少年工として大阪の軍需工場にいた。八月十四日、最後の空襲でートン爆弾の猛爆を受け多くの犠牲者が出た。その時陸軍の最高幹部らだけ厚さニメートルのコンクリートで固めて造った防空壕に入ったが全員圧死。兄はその時のことを永久に忘れないと、ことあるごとに人に話している。今こそ戦争の無益さを訴えなければ」
 次郎と友子は戦中派最後の世代として、史跡巡りにも反戦の意識がにじみ出る。

大阪きづがわ医療福祉生協機関紙「みらい」 2016年4月、5月号

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