◎全国に数十社ある安倍晴明神社の本社
晴明神社は京都市上京区堀川通一条上るにあり、御所にも近い。ここは平安中期の天文陰陽博士安倍晴明(九ニー〜ー〇〇五年)の屋敷址であり、活動の拠点でもあった。
神社の説明にはこう記されている。
「安倍晴明公は、朱雀帝から村上、冷泉、円融、花山、ー条の六代の天皇に側近として仕え数々の功績をあげ、そして村上帝に仕えた時は、進んで唐へ渡り、はるか城刑山にて迫道仙人の神伝を受け継ぎ、帰国した後、これを元に日本独自の陰陽道を確立、朝廷の政治、日本人のさまざまな生活の規範を決めた」
尚、陰陽師とは陰陽五行説に従って吉凶禍福を占い、呪術を施す陰陽寮が置かれ加茂・安倍両氏の支配下にあった。
次郎と友子は伝説で知っている「一条戻り橋」を渡って、神社の鳥居をくぐった。
次郎が語る。
「菅原道真が左遷された太宰府で亡くなったのが九〇三年で、その祟りで京都が揺れに揺れ、緊急対策として道真をなぐさめるための、北野天満宮がつくられたのが九四六年。こんな大変な時代に晴明は六代の天皇に側近として仕え、留学もして、八十五歳で天寿を全うした後も、即座に屋敷址を晴明神社にして、今日まで祭り継がれているということは本当にびっくりであり、奇跡的ではないか」
次郎の問いに、友子はこう返す。
「大阪市阿倍野区にも一安倍晴明神社』があり、いつも若い女性らで賑わっているわ」
次郎が頷き、話を続ける。
「日本列島は地球のプレートが物凄い力でぶつかりあいできた皺のようなものだから、大陸とは違い、山は険しく高く谷は深い。森が多く川は曲がりくねり、入江・湖・池・沼。四方を海に囲まれている。火山・地宸・津波,台風など災害も多い。こんな外国にはない特別な自然環境が、独特な文化を生み出しているのは当然だと思う。晴明が日本型陰陽道をあみだしたのも、それなりの必然性があったからなのだろう」
今でも陰陽氏はいるのかなあ」と友子。
「戦国時代には、軍師と共に陰陽師が必ず作戦本部にいたという。家康も重宝したらしいよ。 今は占い師になっているのではないか。そういえば、帝塚山の占い師の邸宅の前に、運転手付きの高級自家用車がよく止まっているが、相談の人らしいよ」
「判断に迷うときもあるものね…その後お兄さんの調子はどうなの?」
友子は思い出したように話を変えた。
「認知症の兄は最近『夜間不穏症』が出てきている」
「性格が変わったり、暴言を吐いたりするのね。私の両親もそうだった」
「最初はショツクだったけど『次郎式陰陽道』でかわしてるよ」
「そのこころは」と友子はつっこむ。
「ぬらりくらり」と次郎。
友子は無言のまま、バイバイと手を振った。
大阪きづがわ医療福祉生協機関紙「みらい」未収載
編者より】
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