今昔木津川物語(052)

◎田ノ川子安地蔵尊(西成区千本南一ー 一四)

 私は盆踊りが大好きだ。
 あの終戦直後のこと、人々はまるで何かに付かれたように、各町会で勝手に道路に舞台をつくり、素人芸能大会などを行なった。戦時中は冷遇されていた芸人達が、引っ張りだこで、かけもちをやっていた。
 工場の食堂は、夜は社交ダンス場に早替わりした。労働者も地域の商人も、ー緒になってステップを踏んだ。子供が見学していても誰も怒らなかった。子供にも楽しむ権利があると、思っていたのかもしれない。

いたるところで盆踊り

 夏に盆踊り大会だ。あらゆる空き地が会場になった。
 誰の顔色をうかがうこともなく、踊りたければ勝手に輪の中に入っていける。
今までは考えられなかったことだった。
 「踊る阿呆に見る阿呆おなじ阿呆なら踊なら<ママ なら?>損々」が、目の前で実際に行われている。「これが平和というものなのか」と、私は子供心にも感じるものがあった。今から思えばあの時の衝撃が、私のその後のささやかな平和運動の原点かもしれない。

私は「踊る阿呆」

 私は、どちらかといえば踊る阿呆の方で、区内の大きな盆踊り大会には、友達を誘ってほとんど参加していた。ついに、高校二年の時には、南海本線泉大津駅前での市あげての徹夜の盆踊り大会にもぐりこみ、夜明けに海水で顔を洗って、始発電車で帰って来たことを今でも鮮明に記憶している。しかし、さしもの盆踊りブームも、テレビの普及と共に大きく後退していった。

着実につづく盆踊り大会

 今年も西成区では千本、玉出、弘治校下などで街おこしとして盛大に行なわれたし、私たちが主催の一員でもある「平和盆踊り大会」が、最近の十数年間は松通り公園で連続して開催されている。もちろん私は今年もそのすべての大会におじゃまをして、心ゆくまで踊らせていただいた。

閻魔地蔵尊六道の辻

 私は八月の下旬にしんみりとやられる、地蔵盆での盆踊りにはひとしおの思いを持っている。それは、東粉浜の閻魔地蔵尊前の七つ辻の一角に、戦後十数年間住んでいたことによる。
 毎日のように、子供が連打する鐘の音、お百度参りのお経、ローソク台のゆれる灯りと、香の煙と香。地蔵盆にはそれに加えて、山伏の祈祷と天井をなめる炎、露店の呼び声とカーバーライトの光。そして、しなよく踊る娘達の足元で、秋の虫が鳴きだしていた。

田ノ川子安地蔵尊の由来

 私は今年も近所の「田ノ川子安地蔵尊」の盆踊りに参加した。私は今回は踊りだす前に、お地蔵さんのお姿をつくづく眺めて、地元の方に日頃から疑問に思っていることを聞いてみた。
 それは、田ノ川地蔵さんは中学生位の大きさであるが、坊主頭に右手に錫杖、左手に宝珠という本来の地蔵さんのスタイルとも少し違うし、全体としていたみがはげしく、石にしては重みが無さそうなので、思い切って「このお地蔵さんは、昔々田ノ川に流れ着いたのかなにかですか」と。
 事実、お地蔵さんが流れて来たという話は多い。閻魔地蔵は難波の浜に流れ付き、空襲除けで有名な天下茶屋の波切不動尊は津守新田から掘り出されたことになっている。

戦跡として語り継ぐこと

 ところが私のちよつと失礼な質問に対して、地元の人の答えは「あの地蔵さんは、息子さんを戦死させた左官屋さんが自分でセメントを塗ってつくったものだと聞いています。だいぶ傷んでますが大切にしたいと思っています」というものだった。
 田ノ川とはこの近くを東西に流れていた川で、明治時代にはまだ水がきれいで「水屋」が売るために汲みにきていたという。実は、玉出町(旧勝間村)を全滅させた大空襲の北限が田ノ川付近であり、盆踊りをする広い道路は戦災復興区画整理事業の結果だということも、その時に地元に人に聞いた。
 戦争の惨劇を風化させないことも、郷土史研究の大切な仕事だとしみじみ知った、今年の長い長い夏であった。

今昔西成百景(016)

◎「盆踊り」「地蔵盆」

 政府は八月末にきめた「総合経済対策」で銀行の不良債権処理のため、銀行の担保になっている土地を、税金を使って買い上げる機関の設置を打ち出した。
 東京でも大阪でも、中小の不動産業者はほとんど銀行への利払いがとまっている状態という。業者は安く売って回収しようとしても、銀行から「時機を待て」とストップがかかる。かくて売りも、貸しもしない〃幽霊マンション〃や空地が、西成でも出現しているのである。

銀行の不始末を税金で救済とは

 銀行は不動産の担保の評価をはるかにうわまって過大に融資をしてきたから、担保を処分しても全額回収できない。今度の政府による不良債権の買い上げは銀行にとっては願ってもないことで、高めの価格で売れればそれだけまた儲かる…
 今年の夏は記録破りの猛暑だった 熱帯夜を打ち破れとばかり、各地で恒例の盆踊り大会や町内安全をねがう地蔵盆の行事が行なわれた。自・社・公・民四党なれ合いの大阪府・市政がすすめている「好きやねん大阪・西成」運動にはもってこいの風物詩。しかし、この府・市政の庶民の街つぶしの典型である、〃地上げ〃行為には何と無策であったことか。
 盆踊りの見物の中に、地蔵盆の提灯の下で、地上げに追われたかっての住民の「里帰り」した顔がちらほらしていた。
 「地上げは庶民いじめであると同時に、何より老人泣かせであります。借地借家人は何も悪いことをしたわけでもない。法律上も所有者がかわっても引き続き住む権利は認められている。それであるのにまるで虫けらのように出ていけと迫られる。長年にわたって築いてきたこれまでの生活基盤を失いたくない。ここで死にたい。暴力には屈したくない。こんな怒りをみんなもっています。そして老人にはひとしおその思いがつよくあります」 二年余前の府議会での私の知事への質問の一節である。質問の発端となった、天下茶屋で地上げを苦にして自殺した八十六オのおじいちゃんの長屋も、税金で銀行から買い上げるのか。
 土地や株に莫大な投機資金を注ぎこみ、バブル経済をつくりだして、国民に甚大な被害を与えた大銀行が、今度は税金で〃救済〃してもらおうという、こんな手前勝手なことは絶対に許せない。
 いま必要なのは、一番不況の打撃をうけている中小業者に手を差し伸べることである。これらの顛末、あらいざらいを、河内音頭にでもうたいこんで力のかぎり訴えようか。
(ー九九二・九)

編者注】
 コロナ禍で、この数年、「平和盆踊り」は開催できていません。また、いつの日にか、新たに復活することを願って止みません。