今昔西成百景(018)

◎天下茶屋

 「天正年間のこと、千利休に茶を伝えた茶匠武野紹鷗が閑居していた地で芽木小兵衛正立なる人が茶店を開いていたが、太閤秀吉が住吉大社への参拝の途中、千利休の勧めで麗水で知られるこの茶店に憩い賞美の余り、井戸に「恵水」の名と玄米三十俵を与えた。
 このことから世に『天下茶屋』と呼ばれるようになった。(浪華にしなり図解説より)」
 天下茶屋東一 丁目二〜三番地一円で現在進められている地上げは、その規模では市内最大級の一つである。一年数ヶ月前より始まった地上げに、住民約四十世帯が固く団結して今日まで斗いつづけている点は立派である。
 三月中旬から隣接の空アパ—卜や空家をつぶしだし、残がいをその場に高さ約四メ—トルの小山にして積み上げそのままにしてある。四〇〜五〇トンにもなるのではないか。古タタミやベニヤ板が表面をおおい、マッチ一本で大火事になることは必至である。住民への嫌がらせ以外のなにものでもない。
 去る四月十一日、地元住民の代表五人と共に西成消防署へ、業者への残がい撤去の行政指導を早急に行なうよう要請した。谷下市議が紹介議員として出席してくれたことは住民に大きな励ましとなった。
 天正年間、スペインの商人ヒロンは、米二俵を納められなかった農民夫婦と子供二人が殺されるのを見たとものの本にかいている。大阪城の築城に徴用された人の中には、仕事がすんでも国もとへ帰れなくなり、川原で細々と世を過ごす者も多かったという。
 米三十俵を与えて人気とりをして、「殿下茶屋」「天下茶屋」と喧伝させた秀吉の戦略。その裏にかくされた無数の哀話。
 それから約四百年たった今日、「冷戦は終わった。もう保守も革新もない。」「世界一治安のよい国、日本」とマスコミで意図的に流されているが、現に天下茶屋で地上げと大火の危険に不安な毎日をすごす市民がいる。「地上げ新山」を見上げて、このたたかいは必ず住民が勝利しなければならない、と考えた。
(ー九九四・四)

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