がもう健の〉次郎と友子の「びっくり史跡巡り」日記 第14回、第15回


◎達磨《だるま》寺

 次郎と友子の「びっくり史跡巡り」は今日は法輪寺(達磨《だるま》寺)に来ている。由来は「この寺は洛陽円町、北野天満宮ゆかりの紙屋川畔にある。臨済宗《りんざいしゅう》妙心寺《みょうしんじ》派の名刹であり、通称『達磨寺』の名で親しまれている。享保十三年(一七一八)大愚《さいぐ》宗築禅師《そうちくぜんじ》を開山とし、荒木光品宗禎居士が開基となり、万海慈源和尚《ばんかいじげんおしょう》が創建したものである。創建には十年の歳月を要したといわれている。開基の荒木氏は両替商であり、武家の開基になる寺院の多い妙心寺派にあっては異色の禅刹《ぜんさつ》である」
 次郎が語る「キリスト教とイスラム教はもとをたどれば同じ宗教だ。キリスト教ではイエスがイスラム教では厶ハンマドが伝達者であり、その伝えの違いが別の宗教になったものだ。釈迦の仏教は『絶対神』を認めていない。したがって神の言葉はない。釈迦が語ったのは、自分で考え、自分で見いだした悟りの道なのだ」
 「それではお経は何なの」と友子がたずねる。
 次郎がつづける「お経は釈迦が弟子たちに語った、悟りのための手引書。しかし、これらがすべて釈迦の言葉ならいいのだが、実際には釈迦の死後、長い年月の中で多数の無名の著者が『釈迦の教え.!として、自分の思いを書き表わしてきた蓄積なのだ」
 友子「大乗仏教のことだね」
 次郎「釈迦の死後五百年たってインドに『われわれを助けてくれる不思議なカがあり、それが多くのものを一挙に救い上げるという神秘的な大乗仏教《だいじょうぶっきょう》がおこり、これが釈迦の仏教と同時に中国に入り、後に日本には大乗仏教が中心的に入ってきた」
 友子「そこで…」
 次郎「ここは私に云わせて。そこで人々は気に入った大乗経典《だいじょうきょうてん》を選び『これこそが本当の釈迦の仏教だ』と主張したのだ。その結果、日本に多数の宗派が生まれた。十三宗五十六派以上ある」
 友子「成立時期の古いものから上げれば奈良仏教と呼ばれる法相宗《ほっそうしゅう》、華厳宗《けごんしゅう》、律宗《りっしゅう》、平安時代に広まった天台宗《てんだいしゅう》と真言宗《しんごんしゅう》。浄土教の流れをくむ融通念仏宗《ゆうづうねんぶつしゅう》、浄土宗《じょうどしゅう》、浄土真宗《じょうどしんしゅう》、時宗《じしゅう》。禅宗《ぜんしゅう》の臨済宗《りいざいしゅう》、曹洞宗《そうどうしゅう》、黄漿宗《おうばくしゅう》、そして日蓮宗《にちれんしゅう》です」
 次郎「だるま寺の所属する臨済宗は『ただひたすら座禅を組むその行為が悟りである。』と禅宗は座禅を重視するのだが、参禅者たちが壁を背にして座っておれば臨済宗、各自壁に向かつて座っていれば曹洞宗だ。また禅問答は臨済宗だけだ」
 最後に、起上り達磨の由来を引用しておきます。
 「インドから中国へ禅を伝え、禅宗の初祖となった達磨大師は、今日、日本では『だるまさん』として親しまれています。達磨大師は西暦五二七年。インドから海路三年かかって中国に渡られ、面壁九年《》めんぺきくねん、手も足もなくなり、忍苦の修業をして禅宗の開祖となる。日本ではこの達磨を七転八起の起上り小法師に変えて、独特の発展をさせたのです」

大阪きづがわ医療福祉生協機関紙「みらい」2017年5月、6月号掲載

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