照る日曇る日(009)

 昨年末、NHK 大河ドラマ「べらぼう」は終わった。田沼意次や松平定信をはじめとする幕府重臣や、その頃の作家(戯作者)、浮世絵師などの人間関係がややこしく、筋を追うだけで精一杯で、興が削がれたのも事実である。「吉原」という遊郭街での登場人物の描き方も、「ジェンダー」という現代的な視点では頂けないと感じることも少なくなかった。主人公蔦屋重三郎(彼の病気のもととなった「脚気」については後日触れることもあろう。)の「耕書堂」への寄稿者の一人に、滝沢(曲亭)馬琴がいた。その因縁なのか、昨年12月16日の赤旗潮流欄に、馬琴と交流のあった、江戸時代の女流作家・只野真葛ただのまくず紹介文が載っていた。

「何のために生まれ出づらん。女一人の心として、世界の人の苦しみを助けたくおもうことは、なしがたきの一番たるべし。これをうたてしく(情けなく)おもう故に、昼夜やすき心なく、苦しむぞ無益なり」

 真葛の一文である。「潮流」欄には、馬琴との関わりは軽く触れていたが、二人の文通は一年にわたったのだから、馬琴も真葛の才能はそれなりに評価していたのだろう。でも、その頃の儒教道徳に、ある意味り固まっていた馬琴とは所詮しょせんは相容れぬものであった。
 その頃の外国事情にも明るく、仙台藩の藩医であった工藤平助の長女として彼女は生まれた。少女期には、女医やオランダ語通詞つうじになりたいと願ったが、父親から、ことごとく反対された。その父は、頑迷一本ではなく、娘に学問への道を用意し、それなりに大事にはしたが、当時の封建価値観の限界内であった。
 前述の文は、後年にその感慨を述べたものだが、彼女の一生は、自らの感性を大事にしながら、しかも「世間」への批評、忌憚きたんのない提言を失わないものであった。こうした「ジェンダー平等」は、男女を問わず「時代を超える」先駆者たるに相応ふさわしいものではなかろうか?

写真】Wikipedia・「只野真葛」の項、「葛の葉と花」
参考】永井路子「葛の葉抄」PHP文庫

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