今昔木津川物語(012)

西成・住之江の海路シリーズ(ニ)

◎「新田しんでん」と小作争議こさくそうぎ

 西成区の西部せいぶと住之江区の東部とうぶを南北に走はしっている阪神高速道路の下は、三十年前までは十三間堀川という、ドブ川が流ながれていた。
 いや正確に云えばドブ川を埋うめ立てて、大阪万博ばんぱくに間に合わせるために、突貫工事とっかんこうじで道路どうろをつくった、ということになるのだろう。だから年がら年中この区間くかんでは補修工事ほしゅうこうじを行っている。

十三間堀川づくりと津守新田づくりは同時出発どうじしゅっぱつ

 この十三間堀川は元禄げんろく十一年(一六九八)に、木津川の水を引き入れて用水ようすいと作物さくもつを運はこぶために、地主達じぬしたちが金を出しあい今の粉浜こはままでつくられた。掘ほり出された土は津守新田づくりに使つかわれた。明治の初年頃までは両岸に松の並木なみき、楊柳ようりゅうなどがあり水もきれいで、すこぶる風情ふぜいにとんだと云われ、住吉詣でのため道頓掘どうとんぼり川より水路すいろ楼船ろうせんを浮かべてくる人も多かったという。
 幕末ばくまつには天誅組てんちゅうぎみの中山大納言なかやまだいなごん一行いっこうが、剣先船けんざきぶねにて十三間堀川を南加賀屋みなみかがやの桜井さくらい会所かいしょまできて御用金を申もうしつけ、翌日よくじつ船で大和川を遡のぼったとの話が残っている。

新田づくりは幕府の「ドル箱」

 十三間堀川から東の地域については江戸時代以前に開発されていて、本田ほんでんまたは古田こでんといわれるのに対し江戸時代以降いこうの開発かいはつは新田しんでんと云われた。
 このような新田は、大和川・木津川・尻無しりなし川・安治あじ川等の河口かこう、三角州さんかくす地帯ちたいに反別たんべつ約二千余町歩よちょうぶ(六百万坪)地高じだかー万五千石ごくに達たっし総称そうしょうして摂津川口せっつかわぐち新田と云われた。中でも元禄時代には市岡いちおか新田・泉尾いずお新田・春日出かすかで新田・津守つもり新田などの大新田が開発された。この期きにつづいて北島新田・加賀屋新田が生まれた。
 江戸時代中期以後その商業資本しほんを著いちじるしく蓄積ちくせきした町人達ちょうにんたちが、地代ちだいによる長期ちょうきの利益りえきを目的として新田づくりに力を入れだした。これらの土地はいずれも幕府の直轄地ちょっかつちであったので、他の土地のように庄屋しょうや・年寄としより・百姓代ひゃくしょうだいというような三役はなく、庄屋事務は地主の任命にんめいする新田支配人がこれを行い、その事務所を会所かいしょといい新田地主はあたかも領主のような権力を有した。

地主じぬしは殿様とのさま

 「津守新田地主白山しらやま氏の支配所を村民そんみんは代官だいかん役所やくしょと称となえ、あるいは小作人こさくにんは決して門構もんがまえの家作かさくはせず、また白山氏が代々だいだい『善ぜん』の字じを用いたところから新田の住民は決してこの字を用いず、他所たしょより移住いじゅうしたものに善の字あれば必ず改名かいめいした。また加賀屋かがや新田でも桜井氏の門前もんぜんの道路を通とおる時、高下駄たかげたをはいておればその音が桜井氏の奥座敷おくざしきに聞こえ安眠あんみんを妨さまたげるというので、門前の道はわざわざ下駄をぬいではだしで通つた」という、古老ころうの話が伝えられていた位くらいである。

温情関係おんじょうかんけいを破やぶって土地分割とちぶんかつを要求ようきゅう

 しかし一方、元来がんらい新田については地主は堤防のみを築き、後の土地改良とちかいりょうや施設しせつは小作人が行うものであった。そのため新田開発者かいはつしゃは所有権者しょゆうけんしゃとなり、労務提供者ろうむていきょうしゃは永小作人えいこさくしゃなる形式けいしきのもとに時代を経へるにつれて小作人の勢力せいりょくが強まってきた。ことに市域しいきの拡大と農地のうちの転用、地価ちかの暴騰ぼうとうなどをめぐって地主と小作人の利害は激はげしく対立たいりつすることとなつた。
 「大正十四年に東成郡ひがしなりぐん敷津村しきつむら(現住之江区)に永住する小作人約二百人は、地主に対し土地の分割を要求ようきゅうし、約一年にわたって時に険悪けんあくな雲行くもゆきを見せて争った。小作人側がわはいくたびか大挙たいきょして地主の桜井家(旧加賀屋家)へ押し寄せ、直談判じかだんばんに及んだ。桜井家は『この地は祖先そせん開発のもので小作人等の要求には応じかねる。しかし永小作権を金で買取ろう』と返答へんとうしたが、小作人等も『我々その祖先も同じく血ちと汗あせとで開発した土地を、いくら昔は主従関係しゅじゅうかんけいとはいえ、金銭きんせんで買取られるなど祖先の位牌いはいに対して申し訳ない。ぜひ土地そのものを要求する』と出た」と当時の新聞は報じている。

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