照る日曇る日(014)


「脚気」という病気がある。江戸時代には、民衆の貧窮には目をくれず、飽食に明け暮れた徳川将軍の幾人かは、この病気で命を落とした。

 明治時代、森鴎外は、医学研究の分野で、一つ決定的な誤りを犯した。それは、当時軍隊を悩ませていた「脚気」をめぐる兵士の食事のあり方の問題だった。今では、原因は、ビタミンB1不足とわかっているが、そのころは、伝染病説などがとなえられていた。日清・日露戦争では、直接戦死に匹敵する罹患兵士が続出したが、鴎外は従来の米飯食にこだわった。一方、海軍では、高木兼寛が、「洋食」を提唱し、脚気患者の減少をみた。論争は、陸軍、海軍間のメンツをかけた事態になったが、今から見れば「蝸牛(かぎゅう)角上の争い」の感がある。1911年ビタミンB1 が発見されたのは、鈴木梅太郎であるが(後年は国策に協力する)、こうした科学的知見が活かされず、その事実の前に全く無力だったのは旧軍隊の大きな弱点である。同時に、太平洋戦争末期には多くの兵士が餓死させられたのも忘れてはならないだろう。

 実は、「脚気」は遠い昔の話だけではない。以前「ドクターG」という、研修医による、いわば「当てもんクイズ」形式のテレビ番組があった。「脚気」が正解の症例が放送されたとき、研修医のだれもがハズレであった。患者さんを診たとき、種々の情報から、思い浮かべる疾患を羅列する「鑑別診断」でも、脚気がなかったのは、いささか驚きであった。若い先生では、「脚気」はなじみのないものになってしまったのだろうが、現に、特に今からの暑い季節には、運動クラブ所属の高校生の若者の「脚気」を幾例か経験したことがある。水分補給を目的に清涼飲料水を多量に飲むと、そこに含まれる糖分を分解、吸収。エネルギー源とするためには、多量のビタミンB1を必要とする。だから、相対的に不足状態となり、「脚気」を引き起こす。幸い、「脚気心」までは至らず、ビタミンB1の投与で全員が回復した。夏場の運動時は、甘味が多い飲料は避け、水分と適度な塩分摂取に留めるべきである。

画像は、西成民主診療所看護師描くカットより

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