今昔西成百景(007)
◎由緒ある西成区名 私は現在手元に、「西成郡史」「西成区史」という二冊の郷土史の本をもち、それを参考にして、行政から見た歴 史ではなく、庶民の歩みを少しでも追っ ていきたいという立場から、敢えて予断の謗りをお …
一人は万人のために、万人は一人のために!
◎由緒ある西成区名 私は現在手元に、「西成郡史」「西成区史」という二冊の郷土史の本をもち、それを参考にして、行政から見た歴 史ではなく、庶民の歩みを少しでも追っ ていきたいという立場から、敢えて予断の謗りをお …
◎幻の川・十三間堀川 十三間堀川は一六九八年に木津川の水を引き入れて、用水と作物をはこぶために地主たちが費用を出し合って今の粉浜までつくられた。といっても今や埋め立てられ、その上を阪神高速道路が走っている幻の川。 一 …
◎紹鴻(じょうおう)の森 二月三日午後五時より、関西芸術座の新稽古場落成記念パ—ティ—が、岸里東二丁目三番地の住吉街道に面した新築ビルで行われるとのことで、少し早めに出掛けていった。 関芸は西日本を代表するプロの新劇の劇 …
◎千本通りの桜 千本通りには桜がよく似合う。 千本と桜と書けば「吉野の千本桜」を連想してしまうが、千本という地名の元となった木津川の堤に植っていた木は、桜でなく松であった。 千本通りの …
◎住吉街道 「西成区史」によれば、西成区は天王寺区、阿倍野区などの高台に展開された 集落とは異なり上町台地西側の低地帯に属し、中世時代まではおおむね海浜とみ られた地であった。すなわち北部の旧村今宮の古名とい …
◎安養寺 安養寺(岸里東一丁目)は浄土宗知恩院派一心寺の末寺で本尊は阿弥陀仏、元禄二年(一六八九)三月、西国巡礼を志した官女が当地寺田善右衛門方に滞在中、善右衛門の勧めで大阪一心寺の天誉和尚に弟子入りし、貞誉 …
◎木津川 師走のある日、知人の病気見舞いに境川の病院まで行き、帰りは大正区を西から東へ横断、西成区まで約二時間かけて歩いた。もちろん尻無川は甚兵衛渡船を、木津川は千本松渡船を利用した。 尻無川は川 …
西成—大正歴史のかけ橋シリ—ズ(一) ◎木津(中村)勘助《かんすけ》の実像《じつぞう》 木津勘助、天正《てんしょう》十四年(一五八六)相州足柄山で新田義貞八代の孫として生まれる。姓は中村、父母とともに木津村( …
2024年6月23日、第13回通常総代会が開催されました。その中で、がもう健さんの郷土史エッセーを紹介する機会がありましたので、掲載します。 今までの総代会の討議をお聞きして、このきづがわ医療福祉 …
大阪きづがわ医療福祉生協の元理事長、日本共産党元府会議員だった、蒲生健さんの郷土史エッセー、「今昔西成百景」「今昔木津川物語」をご本人などのご許可を得て、随時掲載してゆきます。古くは古墳時代から続く、木津川筋 …