今昔木津川物語(058)
◎ あとがき あとがき 人は人生の岐路に立たされたときに、一体何をしなければならないのか。それは、足元を見直してみることだと云われている。この場合もちろん、自分の置かれてい …
一人は万人のために、万人は一人のために!
◎ あとがき あとがき 人は人生の岐路に立たされたときに、一体何をしなければならないのか。それは、足元を見直してみることだと云われている。この場合もちろん、自分の置かれてい …
◎波切不動尊 (西成区聖天下ー 一六) 聖天下一丁目にある波切不動尊は、水かけ不動明王とも呼ばれている。昭和十四年七月十日、現在の北津守地区で発掘され、大きさは四尺七寸、同年西宝寺のそばに祭られた。 戦時中は …
◎続万代池 前回の木津川百景で万代池について、「まんだ」とはアイヌ語の古地名であったものを、後世の人が「万代」と当字したのではないか「まんだ」とは一体何のことなのか。それが判れば、万代池が元は何であったのか、 …
◎万代池 (住吉区万代三) 熊野街道沿いに南へ、阪堺電車上町線の帝塚山三丁目駅から帝塚山四丁目駅へ行くほぼ中間の東側に、万代池がある。 今は人家が立て込んで、街道より少し東へ入ったところになってい …
◎宝山寺・十三仏(住吉区住吉一ー 五) 平安・鎌倉時代に盛んであった「蟻の熊野詣」の熊野街道も、今では路面電車や自動車の行き交う基幹道路となり、その面影は阿倍野区では阿倍清明神社や阿倍野王子神社辺りに少し残る …
◎阪堺電車 上町線 平安時代中期以降鎌倉時代にかけて「蟻の熊野詣」といわれる程、王朝貴族から庶民にいたるまで盛んであった、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、那智大社)への道は、京都の永観堂を発ち船で天満の …
◎田ノ川子安地蔵尊(西成区千本南一ー 一四) 私は盆踊りが大好きだ。 あの終戦直後のこと、人々はまるで何かに付かれたように、各町会で勝手に道路に舞台をつくり、素人芸能大会などを行なった。戦時中は冷 …
◎勝間(こつま)と玉出を「古地名」でみてみれば 「西成郡史」などによれば、旧勝間村「現在の西成区玉出」は仁治年間(一ニ四〇—一ニ四三)に住吉神社の北、大海神社の辺りに当時あった元勝間村の人口が増加してせまくな …
◎「長崎橋」の”なぞ“を解く(西成区玉出西一ー 一七) 安治川を開削した河村瑞賢は、元禄十一年(一六九八)に再度来阪し、木津川より分岐し南へ向かい堺の北で海に注ぐ、長さ四十四町(約四・八㌔)、幅十三間(約二十 …
◎大阪港 大阪湾は紀淡海峡で太平洋に、明石海峡で瀬戸内につながっている。西の方からは強い風が常に吹き付ける。そのため入船にはよかったが、出船は風向きを見なければならなかった。川底は上流からの土砂で常に浅くなっ …