照る日曇る日(015)


 数年前、大学時代の学友らが中心となり、石川県平和委員会で「記憶の灯(あか)り 希望の宙(そら)へ いしかわの戦争と平和」という戦跡の案内が出版された。まだ、訪れたことのないところも多く、その当時、戦争に抵抗の姿勢を示したり、協力した人たち(もちろん、「心ならずも」という点もあろうが)のよすがを知る出版物である。
 実は、金沢大学医学部は、不名誉なことに、旧満州で活動した悪名高い731部隊の出身校では、全国的に第5位くらいを占める。直接の卒業生ではないが、トップの石井四郎は、金沢の第四高等学校の出身で、終戦直後の隠蔽工作には、金沢市街を熟知していたから有利だったとされる。
 出版には、故莇昭三先生が大きく関与された、先生は、わが出身校の大先輩であり、医業のかたわら、太平洋戦争で医者がどう関わったかを生涯にわたって追求されてこられた。著書の中では、日本医師会の果たした「時局迎合的」な役割についても書かれている。1936年頃になると、医師会は、医師の権利擁護という最低要求ラインも投げ捨てて、「ナチス医師会を見習え!」と、総会での挨拶がされたほどであった。(少し前のA元首相は、この言葉を「見習った」ようだ。)戦後になっても、日本医師会の戦争犯罪への「反省」は不十分なままで、ひところ731部隊への言及が医師会総会で取り上げられたが、中途半端で終わっている。現在の医師会でも、政府や一部野党の「医療費抑制」や「病床削減」に毅然とした態度を取れていないのは、戦前の残滓(さんし)(それどころか戦前そのもの)であり、すこぶる残念なことである。

参考書】莇昭三「戦争と医療―医師たちの十五年戦争」(かもがわ出版)
図は、「記憶の灯り希望の宙へ」から。(現在では「旧金沢陸軍病院」には「濾水器」は展示されていない。)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA